有田 陶芸作家 青木清高氏 急逝
陶芸家、日展評議員の青木清高さんが57歳という若さで
急逝されました。お人柄作品共々素晴らしくとても残念です‼️
亡き青木清高さん
有田に激震が走り
有田にとって大切な陶芸作家さんの急逝に ただただ驚き悲しみに包まれています。
穏やかで優しく大変ご謙虚なお人柄は、作品にも反映され
凛とした中にも温かい作品が多く 多くのファンがいらっしゃいます。
一様に驚きと悲しみが募っている有田です。
特に青磁と天目は 清高さんの 陶の魂が映し出され 、
包み込むような
優しさに満ち溢れていました。
人間力溢れるお人柄は どなたからも愛され 慕われておられましたが
私も大好きな作家さんでした。
有望な 陶芸作家さんの急逝…本当に残念です。
⭐️ 亡くなられた前日まで 福岡三越での個展を終わられたばかりでした。
心からご冥福をお祈りいたします。 合掌
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日展評議員の陶芸家、青木清高(あおき・きよたか)氏が14日午後7時3分、脳幹出血のため西松浦郡有田町内の病院で死去した。57歳。自宅は有田町外尾山丙1595。通夜は16日午後7時から、葬儀は17日午前10時半から、告別式は同日正午から有田町南原甲1113の11の有田セレモニーホールで。喪主は妻敦子(あつこ)さん。
午後4時40分ごろ、自宅の風呂場で倒れ、有田町内の病院に搬送されたが、死亡が確認された。
青木氏は1957年、文化勲章受章者で日本芸術院会員の陶芸家、青木龍山(りゅうざん)氏の長男として生まれた。県立武雄高校から長崎大学教育学部美術科を卒業。ろくろの名手故中村清六氏に師事、84年から父龍山氏のもとで制作活動を始めた。94年と97年に日展特選。2001年から日展審査員、08年から日展評議員。09年に日本現代工芸美術展で内閣総理大臣賞など多くの受賞歴がある。現代工芸美術家協会理事、九州現代工芸美術家協会長などの要職に就いていた。
中国・南宋官窯(なんそうかんよう)の青磁を研究し、深みのある作品を長年追求してきた。「包み込むような青」が高く評価され、日展を中心に活躍してきた。父・龍山さんが亡くなった08年から本格的に天目を始めている。龍山さんの技法を受け継ぎながらも、曜変(ようへん)による偶然性を重視し、オリジナル性を模索していた。今月13日まで、福岡市の福岡三越で4年ぶりの個展を開いたばかりだった。
■次世代リーダー失う 県内外から驚きと悼む声
県陶芸界における次世代のリーダーとされた青木清高さんの突然の訃報に、県内外の陶芸関係者や地元から驚きと悼む声が相次いだ。
重要無形文化財保持者で県陶芸協会会長の中島宏さん(武雄市)は、自宅で悲報を知った。同じ青磁作家として「自分の後継ぎだと思っていた。最初のころは助言を送ったこともあったが、ここ最近は言うこともなかった」という。「伝統にとらわれることなく、落ち着いた自由な造形表現が彼の魅力で、日展や県陶芸界をしょって立つ人物だった。まことに残念だ」と早すぎる死を惜しんだ。
現代工芸美術家協会九州会でコンビを組んだ事務局長の陶芸家馬場九洲夫さん(西松浦郡有田町)は、「会長として常に会の運営を考えられていた。激務だったので、さぞかし身体に響いたのだろう」。福岡市の個展初日に訪れており、「元気な姿を見せていられたのに」と声を詰まらせた。
研究会などで一緒になる機会が多かった十五代酒井田柿右衛門さん(同)は「公私ともにさまざまな気遣いをしてもらった頼れる先輩。あまりにも突然で、どう考えていいのか分からない」。3月末のイベントでも同席し、「焼き物や有田の歴史を幅広く知っている方。もっと一緒に酒を飲んで、いろいろなことを教えてもらいたかった」と肩を落とした。
ー佐賀新聞より転載ー