有田焼創業400年にあたり佐賀県の事業案を読んで………
「有田焼創業四百年にあたり、佐賀県の対事業案」を読んでの感想と意見
蒲地 孝典 / 記事一覧
佐賀新聞社 でとりあげていただきました。
http://talkbar.saga-s.co.jp
2016年は有田焼に関わる私どもにも大きな節目です。
私は節目と云うのは歴史の流れの中で浮沈を繰り返した先人の喜怒哀楽をしのび、今を生きる我々の足元を見つめることであると考えます。
そして、将来の発展の可能性を探るヒントもここにあります。
有田焼の創業は1616年の朝鮮陶工、李参平による磁石原料の発見に端を発しています。
この原点である原料によって有田焼の最大の特徴である陶磁器が生まれ、併せて古伊万里、鍋島、柿右衛門、
或いは明治伊万里の各様式美が創造されました。
日本に初めての磁器と比類のない多様な様式美こそ、かけがえのない有田焼の本質であります。
江戸期に生まれた伝統文化が400年間、連綿と続いているということは日本の工芸文化として世界に冠たるものと云えるでしょう。
この独自性こそが17世紀には欧州へ輸出され王侯貴族を魅了し、また19世紀には世界各地で開催された万国博覧会の花形製品としてマイセンはじめ欧州各国の名窯にも比肩しました。
さて、3年後に迎える大きな節目を間近に控え、この赫々たる内外を席巻した有田焼産業の栄光も輝きを失いつつあります。
戦後の有田焼は営業用食器の伸びで、とりわけバブルの時代はこの市場の急成長で空前絶後の繁栄をもたらしました。しかし、観光地ホテルの破綻やギフト市場の崩壊等その後の景気低迷以上に今後の営業用食器の量的拡大は望めない決定的な現象として海外からの安価な製品の流入が致命傷になっています。
また、一般食器の需要の不振は生活文化の構造的激変によるものです。
若い世代の共働きやレトルト食品の普及が調理や食卓文化を軽視するようになってきています。
ステータスでもあった「お道具類」に対する価値観の希薄化、家庭料理における食器のある情景が変化しつつあります。
嘗て日本の伝統的食卓は取り合わせの美学が息づいていました。
取り合わせの美学が発揮される最たるものは茶道です。ここには暮らしの合理性があり、日本人が育んだ美学が凝縮されています。歴史の星霜の中で朽ちずに息づいている
茶道文化をかみ砕いて幼児、少年時代から、家庭はもとより学校教育の必須科目として教え込む必要があると考えます。
岡倉天心は世界に誇る日本の代表的な文化として「茶の湯」を挙げています。
コンビニの普及は食器需要を大幅に縮小させました。端的にはペットボトルや弁当の普及は器に移し替える手間が省かれています。
食器の種類で市場に見かけなくなった一つは菓子鉢でしょう。
少なくとも和食器には十種類以上の使い分ける食器がありますが、一器多様に使う歪な西洋化が進んでいるようです。
今や日本の食卓における陶磁器を始め漆器や硝子、金物、竹木工、その他の各地の伝統的産業が危殆に瀕しています。
このような状況の中で、「日本食を世界の文化遺産」にと云う運動が始まっていますが、食卓文化や室礼も含めた総合的な取り組みで進めていただきたいものです。
有田焼の存続は日本の伝統的工芸文化、総合的な食文化にもかかわり、ひいては観光立国を掲げる我が国の貴重な観光資源でもあります。
他の陶磁器、漆器をはじめとする各地の伝産地との連携を深め、教育機関での日本固有の食文化の啓蒙や産地の後継者の育成、伝産地の製品の流通に経済特区を設ける等、国に働きかけるために「2016伝産地サミット」を佐賀県で開催することを提案するものです。
明治期、殖産興業政策の下、伝統工芸品の輸出振興を図るためにデザイン改良を図ったのは小城藩士だった納富介次郎でした。
納富は日本の古典を紐解き、洗練された図案集「温知図録」を編纂しました。
陶磁器のみならず、銅器、七宝等、各地の伝産地でこのデザインが活かされました。
納富の考えはおそらく、海外で通用するものは「真にナショナルなものでなければ、インターナショナルなものにはならない」だったと推測します。
海外輸出にはマーケティングが必要ですが、有田焼の真価を知らないようなデザイナーに新製品開発をゆだねるような政策には反対です。
やはり、どのように斬新でも蒲原有明の詩にあるような「丹の色の歓楽の夢 哀愁の呉須の唐草」を留めた有田焼の匂いのするものでなければ有田で生産する根拠が失われます。
同時に付加価値を伴った国際的な製品になりえません。
有田焼に関わる職人やデザイナーにマーケティングの能力を身に付けさせ、情報を提供し、地場で人材を養成しなければ、有田焼百年の大計にはそぐわないと考えます。
有田焼の輸出を試みるうえで、海外の窯業産地も目下苦境に立たされている事情を把握しなければなりません。イギリスが誇るウェッジウッドやイタリヤの老舗ブランドのリチャード・ジノリ等の破産のニュースは、経営上の問題以上に世界的に生活文化が変化しているということを垣間見ることができます。
この上は、有田焼を単体でプロモーションするのではなく、他の産品も仲間に引き込んで日本の総合的食卓文化として紹介していくことが肝要です。
クールジャパンの中に有田焼を組み込ませてセールスすれば燭光が見えてくるはずです。
世界の構造的な変化も見抜いたうえで、どのようなものをどこの国に売り込むのか、戦術戦略を明確にしなければ、泥縄的な今までの手法では通用しません。
国際見本市に参加するぐらいではたんに予算を消化するだけに終わってしまいます。
十数年前にフランクフルトの国際見本市に出展するときには、ブランド企業の常設展示がある特別な会場に入るために、総領事公邸で見本市の事務局長をもてなしたりして、やっと実現しました。
国際舞台では色々な政治的工作も必要であることを念頭に入れおいていただきたい。
ジェトロがお世話する差別化されていない十把一絡げの様な既成の会場では国際市場開拓の
緒にもつかないことは実証済みです。
海外進出は日本の文化を輸出し、彼の地の文化にも影響力を持つぐらいのスケールの大きい仕掛けが必要です。小手先では尻切れトンボに終わってしまいます。
17世紀には陶磁器をはじめとする日本の文物を含めた東洋の工芸品がバロック芸術に
影響を与え、それはシノアズリーと呼ばれました。
また、19世紀にはジャポニスムが流行し、やがてアールヌーボーへと発展していきますが、彼の地の芸術家たちを日本の工芸品に内蔵する精神文化にまで立ち入らせました。
有田焼の輸出は「新ジャポニスムの創造」くらいのキャッチフレーズが必要でしょう。
若手の有田焼の担い手が夢を描けるような施策にしていただきたいと希うものです。
2016年に向け、色々な施策を広告代理店などに委嘱する愚策は採らず、現業の中から有為な人材を発掘して事にあたっていただきたいと思うものです。
以上、二十数年前より海外輸出をもくろみ、事にあたった知見をもとに献策するものです。